怒りの荒野/I Giorni Dell'Ira (1967)


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Locandina A Locandina B Japanese Poster




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IT LP RCA SP 8024


英語題名 Days of Wrath / Day of Anger
監督 Tonino Valerii
脚本 Ernesto Gastaldi / Tonino Valerii
撮影 Enzo Serafin
音楽 Riz Ortolani
出演者 Giuliano Gemma , Lee Van Cleef ,Walter Rilla,
Crista Linder, Yvonne Sanson, Andrea Bosic


怒りの荒野レビュー<1>
【ストーリー】

 娼婦の私生児スコット(ジュリアーノ・ジェンマ)は、クリフトンの町で住民からうとまれながら掃除人として暮らしている。彼の夢は一流のガンマンになることだ。彼は町を訪れた流れ者タルビー(リー・ヴァン・クリーフ)を慕い、弟子入りを申し出る。タルビーの目的は、10年前に仲間と強奪したものの、裏切りで失った金塊の分け前5万ドルを得ることだ。

 かつての仲間ワイルド・ジャック(アル・ムロック)から、クリフトンの裏切り者、酒場の経営者マレー(アンドレア・ポシック)、クッチャー判事(ルーカス・アマン)らの名を聞き出したタルビーだが、ジャックの仲間にリンチを受けているところをスコットに救われ、コンビを組むことに。スコットに銃を買い与え、二人でタルビーが殺した男の仲間の襲撃を返り討ちにする。

 マレーを脅し酒場の共同経営者に収まったタルビーは、裏切り者たちが雇った殺し屋(ベニト・ステファネリ)を決闘で葬ると、酒場に放火。マレーを殺し、新たな酒場を開く。保安官だった時代にテキサスでタルビーを追放したことのあるマーフ老人(ウォルター・リラ)は、面倒を見てきたスコットにタルビーの一味から抜けるよう求めるが、スコットは聞かない。
 タルビーは町の保安官(ジョルジョ・ガルジュロ)を殺し、クッチャーと組んで町を一手に自分のものにしようとした。新保安官に就任したマーフは、町民の銃の所持を禁じ、タルビーからも拳銃を接収しようとして射殺される。

 怒りに燃えるスコットは、マーフに授けられたドク・ホリデイの銃で、クッチャーとタルビーの一味を皆殺し。決闘でかつての師匠を倒す。スコットは命乞いをするタルビーにとどめの一弾を撃ち込むと、銃を放り捨てガンマン稼業を放棄するのだった。

【解説】

 ヴァン・クリーフとジェンマ。このキャスティングに本作の最大の魅力があります。若者にガンマンの道を説く中年を演じれば右に出る者はないヴァン・クリーフ、マカロニのえげつない価値観から解放されたキャラクターを持つ(マカロニ的価値観で見れば欠点ですが)、無垢な若者ならはまり役のジェンマが互いの味を出し切って、たっぷりのガンプレイとともに観客を飽きさせません。
 有名な「ガンマン十戒」も今見ると、「相手の縄を解く時は銃を取り上げろ」「傷ついた相手にはとどめを刺せ」等、「ガンマンは相手を信用するな」の一言で済む、ダブリ格言がたくさんあります。しかし、それを語るヴァン・クリーフの個性が、観客に疑念を浮かべさせることを許しません。さらに華麗なガンさばきの数々。クライマックスで、いかにもマヌケな三下どもをジェンマが「十戒」を唱えながら撃ち殺す場面が、それほどかったるくならないのは、その後に「強大な敵」ヴァン・クリーフが控えていることを、見る者が理解しているからでしょう。

 一方のジェンマ。エンジェルフェイスを表に出して軽快にバンバン撃つ彼よりも、本作のように影を負った人物像の方がマカロニらしくて、不思議と違和感がありません。アクションも、他の主演作に比べ少ない分、拳銃を構えたショットが腰が据わって見える好結果をもたらしています。残念なのは衣装の陳腐さ。こぎれいなウエスタンスタイルなら細身の体にピタリと決まるヴァン・クリーフと比較すると、彼の筋肉質の体が映えるセンスのいいシャツを着せるべきでした。ただでさえ存在感で劣るだけに、つらいものがあります。

 監督のトニーノ・ヴァレリも、豪華キャストを得て自信満々だったのでしょう。オープニングタイトルでは、しつこいぐらいに自分の名前をクレジットで強調しています。前作「さすらいの一匹狼」も、映画監督としてやっていける確信の根拠になったのではないでしょうか。タルビーと殺し屋との決闘シーンでは、帽子の紐をうまく使った緊張感の表現、馬上でのライフル弾込めシーンの流れるようなカット割りなど、大いにノッています。

 ただ、前作より演出が散漫になっている点は見逃せません。本作で目立つ失敗はロングショットです。クリフトンの町を出たタルビーをスコットが追いかける場面では、両者の個性の違いが音楽以外では分かりにくく、悪党が馬でタルビーを引きずるところはカメラワークの悪さが臨場感を削いでいます。タルビーを倒したスコットがマーフを振り返るシーンも、マーフが単なる骸としてしか処理されておらず、スコットの感情がさっぱり伝わらない淡泊な演出です。これ以降、ヴァレリの作品は、画面が次第に平板化(以後ミケーレ・ルーポ化と呼ぶ)して緊張感のないものになっていきますが、これらはその前兆かもしれません。

 本作はアクション満載の佳作でありますが、これが傑作足り得なかった原因は、多くのマカロニ作品と同様に脚本の破綻です。マーフが「もう銃の時代ではない」と最初に言っておきながら、途中から「撃鉄は優しく扱え」「要は銃なんだ」「スコットでなきゃタルビーに勝てない」などと言い始め、自分は銃の所持禁止を命令。揚げ句スコットに名銃を授けてしまうのですから、マカロニ以外のジャンルなら「ジジイ、ボケたか?」と言われてもしょうがないキャラになっちゃってます。
 スコットも、マーフにもらった銃のおかげでタルビーを倒した後、マーフの死体を見て感極まり、形見ともいえる拳銃を乱暴に投げ捨てます。この銃がドク・ホリデイのものであったとの設定もストーリー上、まったく無意味です。ヴァン・クリーフが途中から極悪人に変身する設定は、この際いいでしょう。そうしないとジェンマがもたない。破綻は破綻ですが、それによって主役は生きました。結果オーライと考えます。スクリプトはヴァレリ、エルネスト・ガスタルディ、レンツォ・ジェンタ。三人寄って文殊の知恵は出なかった…。

【音楽】

 歌謡曲と同じくマカロニにも「一発屋」という言葉があるとしたら、それはリズ・オルトラーニに与えられるべきでしょう。本作はブラスの伴奏をうまく使った、厚みのある構成による主題曲の変奏が目立ちますが、画面を盛り上げる効果は十分。サントラとしてもよくできた一作といえるでしょう。
 しかしながら、「さすらいの一匹狼」でニコ・フィデンコと組んで成功、本作でオルトラーニの(奇跡的な)音楽に恵まれたヴァレリのツキもここまで。二人が再びコンビを組んだ「要塞攻防戦」は、作品・音楽とも水準を大きく下回る出来となりました。本作以後のヴァレリは音楽をはじめとしてスタッフにも恵まれず、ルーポ化は進行の一途をたどります。彼の監督クレジットが再び輝くのは、セルジオ・レオーネがモリコーネ以下、強力な人材とキャスト、資金を用意して、おいしいカットは自分で撮ってしまった(と思われる)「ミスター・ノーボディ」(1973年)まで待たねばなりません。

PINGUINO



怒りの荒野 レビュー<2>
【ストーリー】
私生児として生まれ町の人々から蔑まれ続けていた青年スコット(ジュリアーノ・ジェンマ)は、ある日町を通りかかった初老のガンマン・タルビー(リー・ヴァン・クリーフ)の颯爽とした姿に一目で惚れ込み、弟子入りを志願します。そんなスコットに、タルビーはガンマンとしての心得を一つ一つ伝授していきます。2人はもとの町へ引き返し、力で町を支配し始めます。しかし、スコットはそんなタルビーの姿勢に徐々に疑問を持ち始めます。昔からスコットをかわいがってくれていた老人はかつては早撃ちの保安官で、タルビーを町から追い出したことがありました。この老人までもが殺されるに及んでついに師弟関係は決裂します。スコットは教えられたガンマン心得を一つずつ実践しながらタルビー一味を倒していき、ついに一対一の師弟対決の時を迎えます。老人の形見であるドク・ホリディの拳銃を手にしたスコットは、かつての師匠を倒します。傷を負い許しを乞う師匠でしたが、必ずとどめを刺すのがガンマンの心得、スコットは非情の銃弾をタルビーに撃ち込むのでした。

【ガンマン心得10ヶ条(またはガンマン十戒)】
リー・ヴァン・クリーフ師匠が銃を撃つたびごとに、そのつどその時の状況に応じた心得がジェンマに伝授されていきましたし、逆にジェンマが師匠を追いつめて行く時にも心得を一つずつ実践していくわけですから、このガンマン心得10ヶ条を見ていけば、それはすなわちこの映画の見所を確認することになります。以下に英語版ビデオからの聞き取りと、劇場公開時のパンフレットからの抜粋を記します。(ただし第6条と第10条とは翻訳が適切でないと思われますので、日本語吹き替え版TVでの表現を併記しています。 )

Lesson 1. Never beg another man.
第一条 拳銃使いは絶対相手に頭を下げるな
Lesson 2. Never trust anyone.
第二条 拳銃使いは絶対相手を信用するな
Lesson 3. Never get between a gun and its target.
第三条 拳銃使いは拳銃と目標の間に入るな
Lesson 4. Punch is like a bullet. If You don't make the first one count good, You might just be finished.
第四条 鉄拳は弾と同じである。最初の一発がものをいう。
Lesson 5. You wound a man, You'd better kill him. 'Cause soon or later, he's gonna kill You.
第五条 傷つけた敵には止めをさせ。さもなくば相手がおまえを倒す。
Lesson 6. The right bullet at the right time, well aimed.
第六条 時宜を得た一発もっとも大切である。
(日本語吹き替え版TVでは「危険な時ほどよく狙え」)
Lesson 7. If You untie a man, take his gun before that.
第七条 相手の縄を解くときには、まず拳銃をとりあげろ。
Lesson 8. Don't give a man any more bullet that he's gonna use for.
第八条 いかなる場合も必要以上の弾をあたえるな。
Lesson 9. A challenge ain't refused no matter what might be to You.
第九条 たとえ不利であっても挑戦には応じなければならない場合がある。
Lesson 10. When You start killing, You can't stop it.
第十条 拳銃使いは足を洗うことは出来ない。
(日本語吹き替え版TVでは「皆殺しにするまでやめるな」)

「人にものを頼むな」、「人を信用するな」と言われてスコットが殴り倒された時、見ている私たちは一瞬、弟子入りが拒否されたのかと思ってしまいます。しかしスコットはまったくへこたれずに「心得その3を聞かなくちゃ」とロバ(名前がサルタナ!)に鞭を入れてタルビーを追いかけます。この場面でかかる曲のバンジョーの音色はとてもユーモラスです。(CD RCA OST-110 10曲目"A Strong Man"の後半)
続く第3〜5条はワイルド・ジャック(アル・ムロック)と対決するボウイの町で伝授されます。傷を負って命乞いをするジャックに、スコットの制止を振り切ってとどめの一発を撃ち込むタルビー。茫然とするスコットに非情の掟・第5条が伝授されます。この場面で流れる重々しいスローバラードの非情のメロディーは、CD 8曲目"Violence, Hatred"です。この掟に従って最後は自分が葬られることになるとは、この時点では当のタルビーにも見ている私たちにも思いもよりません。この後タルビーはちょっとした油断からジャックの手下に捕まり、3頭の馬で地面を引きずり回すというリンチを受けることになります。ここで流れるのはCD5曲目"To the Last Shot"。盛り上がるトランペットが、いかにもマカロニ的です(同じメロディーが映画の後半ハーモニカでも奏でられこれも印象的)。この絶体絶命の危機をスコットが救います。ここで第6〜8条が伝授されます。このシーンでの2人の笑顔はとてもなごやかで、温かい師弟関係を思わせ、見るものをほのぼのとした気分にさせてくれます。しかしここで、第6条は「ブラボー、スコットマリー」と褒めたたえるほど的確だった弟子の行動を師匠がただ追認しただけの言葉でしたし、第8条は、第7条を言い渡されたスコットが逆に師匠をやり込める形で自分で言った言葉だったということに注目すべきでしょう。この時点ですでに弟子は師匠に追いつきかけていると言えるのです。実際この時点で、師匠が教えるべきことはあと2つだけしか残っていなかったのですから。
心得のその9は、先込め銃のプロから決闘の挑戦を受けた場面で、弟子の質問に対する答えとして語られます。この殺し屋のテーマ曲がCD4曲目"Killer's Weapon"。ベニト・ステファネリ演じる不敵なツラ構えの殺し屋にピッタリの曲でした。ただし、英語版ビデオではこの第9条を言う場面がカットされており、最後にタルビーに挑戦する時のスコットのセリフと辻褄が合わなくなっています。(英語版ビデオではその他にも、タルビーがスコットに銃を買ってやる重要なシーンなども含め約1/4のシーンがカットされています。それでもリー・ヴァン・クリーフ本人の声が聞けるのでそのビデオの存在価値はなくはないのですが......)
そして最後の第10条は、一対一の師弟の対決の直前に、最後の心得として伝授されます。この決闘場面は、ピンと張りつめた空気が一発の銃声で破られて一瞬で決着がつくという、ジェンマ作品にはめずらしい緊張感と様式美のあるシーンでした。

このように、ガンマン心得の一条ずつがそれぞれ趣のあるガンアクションに対応し、しかも伝授された心得をそのまま実践して弟子が逆襲するという伏線の張り方としては絶妙なスジ運びで、リズ・オルトラーニのダイナミックな音楽も画面に見事にマッチした本作品は、ジェンマ主演のマカロニ作品の中では文句なく最高傑作と言えましょう。

【レオーネの弟子としてのトニーノ・ヴァレリ監督】
監督のトニーノ・ヴァレリは、『夕陽のガンマン』では助監督としてクレジットに名前が出ていますが、それ以前からレオーネの弟子的な存在の人だったようです。この師弟の作品を並べて見比べてみると、弟子はつねに師匠の後を追い、模倣し、追いつき追い越そうとしていることが見て取れます。

レオーネ作品 ヴァレリ作品 共通する特徴
Step 1 『荒野の用心棒』(64) 『さすらいの一匹狼』(66) シンプルなストーリーの小品ながら快作。米国の無名俳優を起用し成功。身近な小物を使ったトリック。最後の対決は拳銃vsライフル。
Step 2 『夕陽のガンマン』(65)
『続・夕陽のガンマン』(66)
『怒りの荒野』(67) マカロニ的おもしろさを満載した傑作。L・V・クリーフが師匠的な役柄。師弟の銃身の長さの差が鍵。
ともにアグアカリエンテでロケ。
Step 3 『ウエスタン』(68) 『怒りの用心棒』(69) 米国人俳優を多数起用した本格的西部劇。歴史の一コマとしてありえたかも知れない西部を描く。同一のオープンセット、汽車を使用。
Step 4 『夕陽のギャングたち』(71) 『要塞攻防戦』(72) ジェームズ・コバーンの魅力。コバーンの過去の挫折の克服。集団と集団の戦い。爆破シーンの美学。
Step 5 『ミスターノーボディ』(73) 同左 同一

このような表にしてみると、各Stepにおいて弟子は師匠を単に模倣しているだけに見えます。しかし少し詳しく見ると、そうではなく、師匠とはできるだけ違う味を出そうとしていることがわかります。たとえばStep 3の『ウエスタン』と『怒りの用心棒』を比べてみましょう。どちらも「むかし西部で」ありえたかも知れないドラマを描いていますが、前者が「西部開拓時代」に対するあこがれをノスタルジックに描いているのに対して、後者はアメリカの暗部・恥部を暴き出しています。細かい所ではたとえば汽車ですが、『ウエスタン』では鉄路が敷かれてスウィートウォータに汽車がやって来るのに対して、『怒りの用心棒』では大統領補佐官を乗せた汽車はダラスの町を後にして出て行くのであり、運動の方向が正反対になっています。紙数に余裕がないので省略しますが、Step3以外の作品比較においても、すべて弟子は一見師匠に習って同じような作品を撮っているように見えながら、実は自分の独自性を出して師匠とはちがう方向性を求めていることがわかります。ヴァレリは、レオーネ御用達の作曲家モリコーネを頑なまでに使いませんでした。また、レオーネが多用する過去の回想シーン(フラッシュバック)をほとんど使いませんでした。このようなことも、師匠の猿マネではない何者かになろうとしていたことの一証左と言えましょう。

そこで『夕陽のガンマン』と『怒りの荒野』を比べるとどうなるかを詳しく見てみましょう。
リー・ヴァン・クリーフはどちらの作品においても師匠のような役柄ですが、その本質は大きく異なります。『夕陽のガンマン』では弟子のようなイーストウッドと最初は反目し合いながらも最後は賞金をすべて譲って去って行くのに対して、逆に『怒りの荒野』では最初のうちとても親密だった弟子のジェンマに結局は倒されてしまうことになります。拳銃に着目しても両作品のちがいは歴然としています。『夕陽のガンマン』ではクリーフは銃身の長いロングレンジの銃で、イーストウッドは短銃身の早撃ち用の銃です。ところが『怒りの荒野』ではクリーフの方が短銃身で、ジェンマに銃身の長い銃を持たせるわけで、まったく逆になっています。このように、キャラクター設定、ストーリー展開、それに銃までもが、まるで鏡に映したかのように両作品できれいに逆さまになっています。『怒りの荒野』でヴァレリは、意識的に『夕陽のガンマン』の逆、逆、をやろうとしたのではないでしょうか。そもそもレオーネがアメリカから呼び寄せモーティマー大佐を好演したリー・ヴァン・クリーフは、マカロニ世界ではレオーネ俳優と呼んでもよいでしょう。そのレオーネ俳優を師匠的な役柄にすえて最後に殺してしまうことは、レオーネ作品そのものに対する挑戦であり反逆であると言えるのではないでしょうか。

この挑戦=反逆はなにゆえなのか? ここからは単なる憶測になります。
ヴァレリはレオーネの弟子として、映画監督としての心得を師匠から厳しく叩き込まれたことは間違いないでしょう。初めは師匠を盲目的に崇拝していた弟子にもやがて師匠の欠点なども見えてくるようになり、いつしか師匠を乗り越えてやろうという自信と野心とが心の中に徐々に芽生えてきたのではないでしょうか。ところで拳銃とカメラはソフト・ハード共に共通点が多いのです。「撃つ」、「映す」、どちらも"Shot"と呼びます。ここでさらに大胆な憶測が許されるなら、ガンマン心得10ヶ条と同じようなことをヴァレリは実際にレオーネに言われたことがあったのかも知れません。たとえば、「カメラと被写体の間には立つな」とか、「慌てている時ほどよく狙って撮れ」とかいう具合に。そういう心得を伝授してくれた師匠を、その心得を実践することにより倒し乗り越えていく。『怒りの荒野』は弟子であるヴァレリの自らの師匠への挑戦宣言、自信に満ちた独立宣言と思われてなりません。

そんな師弟コンビが『ミスターノーボディ』(73)ではふたたび一緒になって一つの作品を作り上げたのですから興味深いですね。弟子から挑戦を受けた師匠としては逃げるわけにはいかない、その結論があの映画だったのではないでしょうか。映画の内容そのものがまた、この2人の師弟関係をそのまま如実に語っているかのようにも見えます。しかしその話はまた『ミスターノーボディ』のレビューですることにいたしましょう。


Scott Mary Takahashi


Fotobusta
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4/8/1999